(平成十六年十一月七日)
生神金光大神大祭の講話
講題『賜わりし光の中で』
本日は、生神金光大神大祭、おめでとうございます。今日のこのようなめでたい日に、私のようなものがお話をさせていただくということは、もったいないことでございますけれども、このようにお話させて頂けることを、ありがたく心から感謝したいと思います。
今、ちょっと歯の治療中でして、歯が三本ぬけておりますので、お聞き苦しいところがあるかも知れませんが、舌足らずではありますが、お話しさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
私の信心が始まりましたのは、結婚と同時でした。
それまででも、先代の親先生と私の父が信者ではありませんでしたが、十数年来、親しくさせていただいておりまして、大祭の案内をいただき、十七才の時にはじめて大祭にお参りさせていただいたことがあります。
父は先代の栄三郎先生をとても好いておりまして、何か食べ物でも珍しいものが手に入ったり、お茶わんでも珍しいものが手に入ると、高津先生に持って行ってやろうかなァと言っては、よくお伺いして、仲良くというんでしょうか、親しくさせていただいておりました。そういうところから、ご縁がありまして嫁がせていただくことにもなったのですけれども、金光教の教えというのは結婚前に「ご理解集」というのでしょうか、いただきまして一番最初に「今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ」というのに出会いました時に、ハンマーで頭をガンとなぐられたような感じがして、ショックで、何かその文章に、み教えに触れただけで、今まで眠っていた心が目を覚ますというか、今までずっと眠っていたんですから、完全には覚めていなかったと思いますけれども、何か本当に天地の開ける音を聞いたような気がいたしました。
そして、新婚当時から親しんできたみ教えがあります。子育てやら、なれない生活やらで、心配することが多くありましたが、そういう時なんか「心配する心で信心をせよ」。そういうわかりやすいというか、そういう「み教え」にふれてホッとしたことを覚えております。心配する心をお供えするような気持ちで向かわしてもらったらいいのかなァと思ったり、また「やれ痛やという心で、ありがたし今みかげをという心になれよ」。 ちょっと物にコツンとぶつけたりして「痛い」と思っても、このみ教えを持ち出して「やれ痛やという心でありがたし」、なんてこうやったりしておりました。また「悪いことを言うて待つなよ、先を楽しめ」というのですね。本当に人間て何かあるとマイナスに物事を考えてしまいがちというか、悪いことを思うと悪くなりますようにといって祈ってるのと同じだと思ったり……。こういうみ教えがたくさんありますけれども、この三つをみただけでも、お優しい、なんとお優しいことばだろうかと思います。天地金乃神様はとてもきびしい神様ですから、そのきびしさに耐えてこそ助かるお道でありましても、あまりのきびしさに耐えかねて、助からないで逃げてしまうこともあると思い、耐えぬくためにお優しい金光様を私達につかわせて下さったのかなァと思ったりもします。
そこにはきびしい神様の、どうかこのきびしさにこたえてくれよ、助かってくれよ、という思いがあるのではないかと思います。私にとりまして神様のお言葉は、み教えというのは、なんかこむずかしいことはわからないのですけれども、この簡単なお言葉の中に、私自身の魂への「ごはん」のような気がしております。
私の中でおきた本当に小さな小さな世界でおきたことですけれども、この信心の景色というんでしょうか、そういうものを見てというか、伝えていくことができたらいいなァと思うんです。けれども、話をするということがあまり無いもんですから、うまく表現できるかどうかわかりませんが、お話させていただきたいと思います。
私は今年六十才で還暦を迎えましたが、ちょうど二十年前に病気をいたしました。突然出血をおこしまして、もう本当にどういうんでしょうか、ちょうど暮れの買い出しや何やらで、先生と交代交代で出たり入ったりしておりました。その時、体に異常を感じたんです。で、この暮れの忙しい時に救急車を呼ぶようなことがあったら申し訳ないと思いまして、すぐに病院の方へ行こうと思い、そう遠くはないんですけれども、歩くたびに出血しますのでなかなか歩けなくて、やっとタクシーをつかまえる所まで出て、すぐタクシーをひろって、その前に電話をかけておきました。「先生、こういう状態で診て頂けますか」「すぐ来てください」ということで、だから私が病院に行く時には家に誰もいなくて、先生も買い物に出かけておりましたし、また私もそんなたいしたことはないと思い、異常は異常でしたが、家に帰られないようになるとは思っていませんでした。書きおきも何もしないで診て頂こうと思って行ったんですね。そしてやっとタクシーを見つけて、ほんの近くなんですけれども病院へ行きました。
そしたらすぐ先生が「電話なさった方ですね」と言って中へ入れて下さって、そして診察して頂くんですけれども、その先生が「誰か来てくれ」と言っているんですよね。「血が止まらんから」言うて。そしたら二人の先生がかけつけて下さって、三人がかりで「えらいこっちゃ」って言うて、そして私の両脇に看護婦さんが一人ずつ付いて下さって、右がこっちの手をしっかり持って、左もこっちの手を持って、私に「しっかりして下さいよ」っておっしゃっているんですよね。でも私としたら、なんでそんなに?オーバーやなァと思って……。
ただ心の中では「金光さま、よろしゅうお願いします」ということは言わせて頂いておりましたけれども、本当にそんなに恐れることもなく、静かに治療を受けておりました。
そして、やっと血も止まるというか、おさまったらしくて……。そのとき結婚してから十二年目ですかね、病気になったのは。その前から、よく信心する者はうろたえてはならぬ、おどろいてはならぬということを聞かされておりました。み教えというのは、魂を食べているので私の心に浸みていたんでしょうね。そんな恐ろしいような状態であっても、心静かにうろたえることもなく驚くこともなく、受けさせて頂いたことは本当に有難かったことだと思っています。げんにそこでパニックになると、止まるものも止まらなくなって、大事に至ったかも知れないなァと思ったりもするんです。そして十日間ほどはそこの病院で組織を採ってガンかどうかを調べてもらうために、ちょうど暮れでしたから正月あけて八日か九日くらいにならないとガンセンターが開かないので、その時まで解らないからそこで調べて頂いて、そこからまた北野病院のほうへ転院するということになっておりました。そしてその間、ずっと二十四時間ですかね、出血を止める点滴というのをして頂きました。でも止まらない。完全には止まらないんですね。ずっと出血したままで、まぁ点滴しているから大出血というのには至らなかったんですけれども、体を横にしてもいけないという状態でした。そしてガンセンターで診て頂いたら、ガンだということがわかりまして、北野病院で診て頂く頃にはもう骨と皮で、顔の色は死人の色をしておりました。でもちっとも別に自分として恐いというか、そういうことは、もう死ぬかも知れないとは思っておりました。でもまぁ自分としては至らないながらも、一生懸命生きてきたから悔いというものは余りなかったんですね。
それで北野病院へ行きまして、もう顔を見ただけですぐ手術やと言われました。でも手術するにも貧血がひどいので手術が出来ないんですね。それで貧血を治してからということで、手術して頂きました。輸血もして頂きました。実家の父は喪服の用意をしていたほどでした。私もこれは普通ではないから、手術をする前に先生に、目の角膜を寄付するのに申し込んでるんですけれども、こんな近眼なので役に立つかどうかわからないんですけれども、私にもしものことがあったらそのアイバンクに電話してね、という状態で、そんな気持ちでおりました。
でもおかげを頂きまして、手術も長いことかかりましたが無事に済みまして、お命を頂いたのですけれども、その手術の後に痛みがあるんですね。まるで棒切れをお腹の中に入れてかきまわされるような痛みというんですか、本当に苦しくてのたうちまわるような感じでおりました。でもそのときに日頃から親しんでおりました「やれ痛やという心で、有難し今みかげをという心になれよ」というそのみ教えが浮かんでまいりまして、そういうふうに心の中で思いながらしておりますと、心が落ち着いてきて、この手術の痛みというものは、自分がその時感じたことは、痛いけれども、この手術のあとの痛みというものはさけては通れない痛みなんだ、自分にとって治して頂くための大切な痛みなんだ。頂いた痛みというかね、いのちを賜ったからこそ痛むんですね。そういうふうに思わして頂くと、何というんですかねぇ、それがたとえもう先の無いいのちであったとしてもですね、今こう助けて頂いているということは絶対に確かなんですよね。そして、この痛みに耐えてみせる、耐えてみせましょうという気になってくるんです。そして耐えきれないときでも、どうか耐えさせて下さいとおすがりすることが出来たことは、本当に私は幸せだったと思います。
もし信心がなかったら、この痛みにもがき苦しみながら、この暗闇の中で、何でこんな思いをせんならんとか、うらみつらみみたいなものまでおこして、治るものも治らなくなっていたかも知れないと、そういうふうに思ったりしております。そして退院をしましたが、もう退院をしてもしんどいんですね。
コバルト治療もそうですね。40何回か受けさせて頂きました。ちょうどお腹あたりからあてるんですけれども、1㎝ほどの四角に、ペンで書いて下さってね、その範囲の中を治療して放射線をあてて頂くと、背中の反対側のところには、それの何倍も、20㎝くらいの四角いやけどが出来るんです。
そのコバルト治療というのは苦しくてね、本当に。お休みしたくなるんですね。でも一回でも抜けると一からやりなおさなくてはならないので、私たちはそのころ、北野病院にはコバルト治療の設備がなかったものですからね、関電病院のほうへ行きまして、その中には舌ガンの方やら色々なガンの方がおられて、皆一緒に行くんですけれども、受けさせて頂きました。どんなにしんどくても、はいずるようにして受けさせて頂きました。
なんぼ自分が受けたいと思いましても、コバルト治療というのは白血球が減るんです。コバルトのためにね。そしてある程度減ったら、もう治療は出来ないんですね。あぶないですから。
ところがね、私の場合は不思議なことにね、先生も本当に不思議がっておられました。あるところまでいったら絶対に減らなかったんです。そして先生が「あなたは白血球を貯金してたんですか?」って言われました。これもやはり神さまのおかげだなァということを本当に思いました。
そして無事に退院することが出来ました。けれども三月の末でしたので、子供が小学生から中学生になる境目だったものですから輝一郎先生は大変で、私は息子の卒業式にも入学式にも行ってやることが出来ませんでした。
未だに後遺症がありまして、冬場になるとそれが出てきますけれども、そのために旅行とか団体行動が出来にくいところがあるんです。退院させて頂きましたけれども、両太モモはしびれておりますし、もうなんか、しんどさといったらないんですね。だるいというか、じっとしているだけでしんどくて、そういう状態でおりますと、家事は何も出来ませんし、治っても車イスの生活になるんじゃないかとか、マイナスに物事を考えたこともありました。そういう時にはですね「悪いことを言うて待つなよ、先を楽しめ」という言葉が浮かぶとね、もうその時の私にはね、何てお優しいお言葉なんだろうと思って、本当に嬉しくて嬉しくて、ああそうだったなァと思って、何かその有難いなァと思って、そういう気持ちになっておりますと、自分が動けなかったなら、何も出来なかったなら、私の代わりに動いてくれる家族、まわりの人たちにね「ありがとう」を言わしてもらおうっていう、そういう気持ちになりました。
そして、その「祈り」のけいこですね。それが与えられたと思っています。もう何も出来ない私でも、たったひとつ出来る仕事がその「祈り」という「祈り」のけいこというのがあったんですね。与えてもらえたというんですかね。そしたら、元気な時には祈ることさえ忘れる日々を送りがちな自分であったということも思いますし、まわりの人たちのことを願うこと、というのはもう数限りがなくて、本当にたくさんありますし、動けない私にとってはとってもありがたいことでした。
そして元気にならせて頂きまして、元気になった時に一番感じたことはですね、人間というものは本当に何も無くても、ただ生きているだけで嬉しい存在なんだなァということを思いました。元気であっても、お金が無い、仕事が無い、あれが無い、これが無いいうて言っていては、せっかくある元気もなくなってしまうんですね。
生きている、生かされているというその喜び、嬉しさというものがあって、その味わいをもって仕事をさがすとか、お金を工面するとか、そういうことが大切なんじゃぁないかなァと。まず、生きている、生かされているという、それが本当に嬉しくてたまらないということが先にこなくては、本当ではないんじゃないかなァということを実感しました。そしてまた、人間は苦しいとき、つらいときこそ、神さまの一番おそば近くに居させてもらってるんだなァということを感じました。
そして、どういうんですかねぇ、神さまからの、天からの光がですねぇ、ふりそそいで下さってある、何かそういうものをすごく感じました。つくづく思いますのに、信心をさせて頂くと、信心をしていなかった時の自分の姿が見えてきます。ふりそそぐ光の中で、くすんだ自分の姿というか、それでもそのくすんだ「いのち」に、輝けよ輝けよと、そそぎ続けて下さっていることを思います。
私は病気をして死にかけましたけれども、命の光を与えられたと思っております。出血がずっと続いているときには、幽体離脱というんでしょうか、そんなおおげさなものではないかも知れませんけれども、ふっと、自分のお腹の上に自分が座っておりました。霧状になっていて、もう軽くて軽くて、こんなに自分て軽いものなのかなァって。そして、もう妙なるいい音楽が聞こえてきて、ものすごく気持ちがいいんです。もう永遠にこのままでおりたいと思うぐらいの体験でした。
だから今こうしておりますと、人間て重たいものなんだなァということを常に感じております。
病気をしてから、マイナス面であるはずなんですけれども、 嬉しいと喜べることもけっこうたくさんあるんです。
その中でね、入院した当時は家庭の中の着るものとか、そういう管理は全部自分がさせて頂いておりましたので、私が入院した時には、突然入院しましたからね、そのままもう帰られなくて、先生は私からの連絡がなくて、電話で「奥さんは入院されます」と言われて、本当にびっくりしたと言ってました。
それで「あれ、持ってきて下さい」「これ、持ってきてきて下さい」と言われても、それがどこにあるやらわからないんですね。私が「あれと、これとお願い」と頼んでも、変なものばかり持ってくるんですよね。そしてね「何でこんなもの」って「私が頼んだものを持ってきてくれないのよぉ」と言ったら、涙をポロッと浮かべて「自分の物でさえどこにあるのかわからへんのに、お前の物がどこにあるかわかるはずがないやろ」と言われて「はぁ、なるほどなァ」と思って、申し訳なかったなァと思って、本当に困りました。
でも、私が病気をしましてね、すぐ動ける状態ではありませんで、長いことかかったんですね。だからけっこうしてくれるようになりました。
病院から帰ってきましたら、フキンやらゾウキンやらわからんようになってまして、鍋のフタを開けましたらカビの花みたいな何か、いっぱい咲いている状態で、風呂はズルズルで、もうえらいことになっているなァと思いましたね。洗濯をしてくれるのはいいんですけれども、昔のね、今の洗濯機は脱水をかけてもきれいにふぁっとしてますけど、脱水をかけてキューとなってて、そのまま干して、かわいてもシワだらけで、そんなんですね、困りましたけれども。
それが少しずつやってくれるようになりましてね。今では もう、外出して遅くなって「あぁどうしよう、夕食の支度は何をしたらいいのやろかなァ、悪いなァ、悪いなァ、遅くなって」と思って思案しつつ帰ってきますと「もう作って食べたよ」って言うてくれます。
そしてもう、ホッとするんですね。「うわぁ、ありがとう」言うて鍋のふたを開けてみたら、色んなものが入っていて「ごった煮」というんですかね。もう私、そんなん見たことも無いような、でもそれがね、おいしいんです。ほっぺたが落ちるぐらいおいしんですよね。
「なに、これ」「おいしいやないの」言うてね。頂くとね「珍しいからやろう」って言うてますけどね。
ほんとね、おいしいんです。奥さんていうのはね、ちょっとやってくれることがものすごく嬉しいんですね。やっぱりそういう時はね、私もね『うわぁ、こんなにしてくれて嬉しいわ。この人のためやったら、どんなことでもしてあげよう』って、口には出して言わないけど心でね、思ってしまいますね。
だから夫婦というものは、年をとるとだんだん、少しずつ弱ってきますのでね、完全には出来なくても、やっぱりちょっと、自分のことは出来るようにしたらいいと思いますので、参考にしていただけたらどうかと思うんですけれども、なんかそのように思います。
そして神さまはですね、信心する者にもしない者にもおかげはやってあるって言って下さってます。それはもう、すごいことだと思います。でも信心をしない者は、おかげを頂いてもわからないんですねぇ。一生懸命、賜わっている光の中に生かされていても、くすんだままで輝けない。でも信心があったらそれを感じることが出来て、自分を輝かせることが出来るというふうに思います。
そして私は思います。信心する者は信心によっていのち、たましいを輝かせたいと。
一人一人、やっぱり放つ光の色はちがうと思いますけれども、それがいいんですよね。自分の光を輝かす。自分が輝いて生きていたら、人のいのちというものは共鳴しあってますから、わかるんですね。
子供や孫に対しても、言葉はたまにいらんこと言うてじゃまになることもありますけれども「輝き」というものは無言ですから、じゃまにならないと思うんです。言いたいことがあっても願って、本当に願って願って、その上で言うんだったらいいんですけれども、そうでなくパッと言うっていうのはどうかなぁと思います。目には見えなくても、子や孫のこのほっぺたのここまで、祈りが届いていて、子供がふっとそれに気づいた時に、パアーッとわかるぐらいの祈りを、与えてあげられたらなァと思う時がありますね。
自分が輝いていたらしんどいことしなくても、言葉は音ですから音速ですし、光は光速やから光の方が速いと思うんですよね。
そういうふうに自分なりに考えたりしています。なかなか子供とか孫とか、孫は責任がないというか、かわいいばっかりです。子供っていうのはむずかしいものです。
じかにぶつかってきますし、見えないこともありますしね。でも自分を輝かせることをすると、そこから何か伝わっていってくれるものがあるんじゃないかなァと思います。
言い古された言葉かも知れませんが、私たちは神さまから ちぎれた分け霊を頂いているということを言われています。私は最初この言葉を知ったときに、本当に感動しました。神さまは、外国ではよく神さまがおつくりになられたとか言いますよね。
神さまからちぎれた「分け霊」だなんて、本当に神さまが自分の身をちぎって下さっていると思うと、ほこらしく生きなくてはもったいないとつくづく思います。
生きてゆく間には、本当にいろんなことがあります。今日も拝詞集の中で「心憂きこと いかなる世の難あらんとも わが心 神に向けよ」というところまでくると、涙があふれて困りました。輝いていた魂でも、ときにはところどころくすんだりすることもあります。でも決して負けないで、天から賜わりし光の中で、ほこらしく自分の魂を輝かせていけたらと思いますね。そして、本当の「助かりへの道」を歩いていけたらいいなァと思っております。
「話をしてみたら」ということで、話してみたいことは、あれも話してみたい、これも話してみたいと思っておりましたけれども、 何かバラバラになってしまって、これでもまとめさせて頂いたんですけれども、ちっとは何か感じて頂けたでしょうかね。
今日は本当に、どうもありがとうございました。
(平成十七年四月十八日 篤美筆)