(平成十二年九月)
先代教会長 高津栄三郎大人 『偲草』より

『言葉にならない声を聞く』

三郎師は、私にとって信心の親であるとともに、舅でもあった。
 父と信心の話をするときは、舅と嫁という感覚はなくなって師と弟子であった。父と信心の話をするときは、いつも広前で食事をすることも忘れ、お茶を頂くことも忘れ、日が暮れるのも忘れていた。そこには魂と魂のふれあいがあった。それは言葉にならない言葉を越えた語り合いであった。

 もう一つの面、舅と嫁という関係においては、話し合いなどとうてい出来ず、私が一声でも発しようなら、間髪いれず「まあ聞け」という調子で、一事が万事もう無茶苦茶であった。

 私の中でどちらが本当の父だろうかという葛藤から抜け出せず、私の心労は限界に達していた。
 ある日、私は父に「ちょっと実家へ帰ってきます」と言って門を出ようとしたら、何を思ってか父が突然走ってきて、両手を広げて私の前に立ちふさがり「今、帰ってはいかん、いかん」と言う。あの父の小さな体がまるで鉄壁のようで、また、その顔はものすごい形相で、そこには不動明王が立ちはだかっているようだった。そのとき私は一歩も動けず、父が全身全霊で私を帰らせまいとするその姿に心を打たれた。このことを後になって思ったことは、あの時実家へ帰っていたら二度と高津の家には戻ってこなかっただろうということ。あのとき、父の言葉にならない心の声に、私は私の言葉にならない心の声で、父の声に応えたのだと思う。

 私は教会家庭で育ったのではなく、一般家庭で育ったので教会のことは何ひとつ知らなかった。父は「何でも解らんことは聞いたらよろし」と言うので、私は何事も父や姑、夫などに聞いては、ひとつひとつ覚えていった。あるとき、いつものように「これはどうしましょう」と聞くと「何でもかんでも聞いたらええもんではない、ちょっとは自分で考えい」と言うので、解らないまま進めていると、こんどは「聞かんかい」と言われ、私の頭の中はこんがらがって困っていたら、父が不思議なことを言った。
「僕は、あんたに聞け言うたり、あんたが聞いてくると自分で考えいと言うたり、わけのわからんことを言うので、篤美さん、気いつけなはれや」
 この言葉になぜか、私の父に対しての戸惑いのようなものが消えた。
 このときも私は父の言葉にならない声を聞いたのだった。今思うと、父との関係は言葉を越えた言葉を聞くという訓練を受けていたのだと思う。

  人は言葉では言えない言葉をだきしめて生きているものだとつくづく思う。その声をどれだけ聞くことができるだろうか。父が投げかけた多くの心の声を、私はどれだけ聞くことができたのだろうか。 
 私は困るたびに神さまにおすがり申してきた。神さまに向かう心で父と対面できたとき、父の心の声を聞くことができた。神さまに向かう心を忘れ、父の姿に圧倒されているときは、父の心の声は聞こえない。
栄三郎師と弟子、そして舅と嫁という表裏の両方で、父は私を育ててくれたのだということをしみじみ思う。そんな父に報いるためにも、神さまに向かう心を育て、少しでもまわりの人たちの言葉にはならない声を聞くことのできる私でありたいと思う。そして天地の開ける音を聞くことができますように。