(平成七年九月十日)
先代教会長高津栄三郎大人『五年祭に寄せて』より

『プレゼント』

和四十八年三月、一人息子の賢一郎を授かった折、私は産後の経過がすぐれず、四十日の間、床を上げることができず、体はやせ細ってしまい、体の中を嵐が吹きぬけていくゴウゴウという音を何度も聞いていました。
 先代の栄三郎師も、私の身を案じたのでしょう。よく私の背中をさすってくれました。そんなある日のこと、ヒロ子(先代夫人邦子)先生が花を生けた花びんを、うやうやしくささげ持ってみえ「これは篤美さんに親先生からのプレゼントです。篤美さんは床についたままで、外も見られんよって、親先生が自分で庭の枝を切って、持っていっておやりと言いはったんで」と言って、私の枕元からよく見えるところへそっと置いてくれました。

 ヒロ子先生は以前、庭の木を勝手に切って花器に生けていたのを見つかり、親先生に引きずられるようにして庭に連れていかれ「どこの枝を切ったのか!言え!」と言って、ひどく叱られていたのを目撃していただけに、このときヒロ子先生がさも大事そうに「これは特別なのですよ」というように、うやうやしく持ってみえたことが納得できたのです。

 それは、さざんかの花がたくさんついている枝でした。私にとって『こわい』イメージが強かった親先生だけに、この贈り物は驚きとショックのほうが先で、しばらくたってから、嬉しい気持ちが涌いてきたのでした。もも色のやさしいさざんかの花びらをながめていると「早よう元気におなり」という声が聞こえてくるような気がしました。

まわりから祝福された賢一郎の誕生という喜びと共に、床からなかなか起き上がれなかったことによって、親先生の思いがけない『やさしさ』を与えられました。四十日経って、ようやく床を離れ、賢一郎をあやす私の姿を見て「篤美さんは、もう賢一郎をよう抱けんのやないやろうかと思うていたがなぁ」と言って、目を細めて嬉しそうにしていた親先生の顔を思い出します。このときの慈顔のような親先生の笑顔と、やさしい心のこもったもも色のさざんかの一枝は、私の心にあざやかに残っています。私にとっては、親先生から頂いた最初で最後のプレゼントです。そして私の心の宝物となっているのです。